●「続・知られざる日豪関係」(351)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「まさか単冠湾『赤城』甲板での源田氏の言葉を、捕虜になってもいいから生きのびろという意味に、勝手に解釈していたとは思えない。
 だが、考えられるのはただ一つ、かれには死ぬ意志はなかった、ということだ。
『我死スメルヴィル島ノ中央密林中』と母艦『飛龍』に打電し、死を報告しながらも、なんとしても生きのびようとしていた。
 しかも逮捕され捕虜になることがわかっていながらも生きのびようとしていた、とみることは、決して不自然ではないだろう。
 私にはどうしても、豊島が強い『生への執着』を持ち続けていた、としか思えないのだ。」