●「続・知られざる日豪関係」(356)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「私はカウラ事件をもう一度、さらに広い、そして長い期間の視点に立って調べなおしてみることにした。
 まず、メルボルン、キャンベラのオーストラリア公文書保管室で入手した捕虜関係の記録の中から、日本兵捕虜とカウラ収容所関係のものを抜き出し、暴動事件のあった一九四四年八月五日までのものを、日付けの順に並べてみた。
『確実に急増しつつあるオーストラリア本土に輸送されてくる日本軍捕虜の収容に関し、カウラ第十二戦争捕虜収容所のDコンパウンドは、日本人コンパウンド併設のために分割され、一九四三年一月一日には収容準備完了。(中略)」