●「続・知られざる日豪関係」(359)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「この、ある事件とはニュージーランド・フェザーストンにあった日本兵捕虜収容所で起きた暴動事件で、戦史研究家の間ではカウラ事件と並び日本人捕虜の特異性をあらわすものの一つとして、さまざまな面から研究されている。
 規模の面ではカウラ事件よりはるかに小さいが、事件の内容においては酷似する面、相反する面が多々あり、また事件発生が一九四三年の二月二十五日、すなわちカウラ事件発生よりも先であったという時間的な面からみても、非常に興味深い。
 一九四三年のはじめ、フェザーストン収容所に収容されていた日本軍捕虜は、全部で八百五名。
 このうち約五百名は朝鮮人徴用兵、二百四十名は海軍の兵、下士官、残りは海軍将校とごく少数の陸軍捕虜である。」