●「続・知られざる日豪関係」(361)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「いずれも捕虜内部からの密告情報により発覚したものだったが、そうした中の一つに、日本軍人たるもの捕虜となった以上自決することこそが”道”である、そしてその自決を先導するのは士官の義務だ、という海軍の兵捕虜が中心に企てた集団自殺暴動計画があり、しかもその情報が、自決を拒否した二名の海軍将校が身の危険を感じ当局に保護を求めて暴露したものだったため、司令部はこれを重視し、捕虜の動向をつねに警戒していた。 
 だがその年の二月二十五日、厳重な警戒態勢がとられていたにもかかわらず、暴動は起きた。それも、当局がつかんでいたはずの情報とは、まったく違う形となって発生したものだった。」