●「続・知られざる日豪関係」(367)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「この移動がいつであったのか、公文書の記録からは見つからなかったので正確な日付けはわからないが、森本氏はじめ何人かの生還者たちに尋ねたところ、『秋』とのことだった。
 オーストラリアの秋というのは、おおよそ五月から六月頃であるから、多分前述の通達があってから一、二カ月以内になされたのであろう。
 そして移動の目的は、増え続ける捕虜の収容に、より広いスペースが必要だったこともさることながら、朝鮮人と台湾人捕虜、日本軍将校捕虜、日本軍兵および下士官捕虜を、それぞれ完全に隔離することにこそあったに違いない。」