●「続・知られざる日豪関係」(369)
〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜
「ではカウラ収容所の暴動事件とは、どのように計画され、実行に移されていったのか。
いや、もっと直接的にいうならば、最古参強硬派捕虜として、またリーダーとして所内の実権を握り、この事件の首謀者であった、あるいは首謀者であったと思われる南忠男は、どのようにして計画を練っていたのだろうか。
まず確実な暴動計画発覚としてあげられるのが、朝鮮人捕虜マツモトの密告情報である。
これが一九四四年の六月三日。
ただしこの日付けは情報将校マン大尉が調査し、ボーマン准尉が報告書として作成した日付けであり、実際にマツモトが暴動計画を耳にしたのは五月中旬かそれ以前と思われることは、前に書いたとおりだ。」