●「続・知られざる日豪関係」(370)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「そしてこの暴動計画発覚のはるか以前、一九四三年の中ごろから南忠男は、前述の『人間の記録』で引用したように、収容所に入ってくる新参捕虜たち、たとえば川崎賢一氏などに対し、『再びたつこともあるから、それまで体力の回復を図ってほしい』『折があれば一斉に立ち上がる』と一斉蜂起の計画をちらつかせている。
 時間的な経過を追えば、これは南がヘイ収容所から移ってきて約半年後のことである。 
 このときいったい南の中で、一斉蜂起の計画はどの程度具体化されていたのだろうか。
 すでに半年間カウラ収容所で生活しているので、計画実行に必要な知識はだいぶつかんでいたことだろう。」