●「続・知られざる日豪関係」(371)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「監視兵の人数や交替時間、携帯武器、また張りめぐらされた鉄条網の状態などは、かなりな程度把握していたかもしれない。
 少なくともそうした状況把握の努力はしていたであろう。
 だが、忘れてならないのは、この年の『秋』頃、すなわち五月から六月に南を含むカウラ収容所の日本人兵下士官捕虜は、D1コンパウンドからBコンパウンドへ、つまり全く環境の異なった場所へ移されていることだ。
 D1コンパウンドとBコンパウンドでは、その面積と形はもちろんだが周囲に張られた鉄条網の状況も違っている。」