●「続・知られざる日豪関係」(373)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「だからかりにそれまで南が何らかの計画を持っていたとしても、このD1コンパウンドからBコンパウンドへ移動したことにより、これまでの計画は完全に水泡に帰していたと思われる。
 いや、完全とはいわないまでも、相当大きな変更をせざるを得なかったことだろう。
 したがって南が暴動の青写真を作りはじめたるのは、どう早く見積っても、Bコンパウンドへ移動してからの一九四三年五月または六月以降、すなわちマツモトの密告の一年前だった、とみるのが妥当だろう。
 そして、一年間あるいはそれ以下の期間かもしれないが、かれは周囲の状況を読みつつ着々と計画を進めていたであろう。」