●「続・知られざる日豪関係」(377)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「つまり、かりに文書にされた決起計画書のようなものがあったとすれば、その中の決行予定期日のみが、『Xデー』として空白にされていたということだ。
 そしてある日突然、この空白に日付けと時間を書き込むことになった。
 これが南忠男ほか捕虜団団長の金沢曹長、副団長の小島軍曹が、Bコンパウンド司令官のラムゼイ少佐に出頭を命じられ、兵および下士官の分離移動を言い渡された、一九四四年八月四日だったのではないだろうか。
 先の章で掲げたオーストラリア公文書『事件経過』にあるように、分離移動の通達を受けた南忠男は、ラムゼイ少佐を前に英語で、
『VERY BAD BUSINESS、WHY CAN’T WE ALL GO?』(非常にまずい、なぜわれわれ全員が移動できないのか)
 と抗議している。」