●「続・知られざる日豪関係」(399)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「『休暇でうちへ帰ったときはねえ、よう高瀬川の欄干のところで、ラッパ吹いとりましたよ。
 すぐそこのところですわ、ええ』
 写真に眺め入っていた私に、ツヤ子さんはそういった。


 このあと私は、高瀬町から電車を乗り継ぎ、高知・伊野町の森木氏のもとへ向った。
 途中停車する駅『詫間』は、豊島が塩田で働いた町、『多度津』はすぐ上の姉静子が嫁いだ町、そして『善通寺』は婚約者宮谷一子さんの住む町と、いずれもかれにはゆかりの地である。
 電車が停まり、そしてまた発車するたびに、私はホームを往き交う若者の姿に、若き日の豊島の面影をなぞっていた。」