●「続・知られざる日豪関係」(403)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「森木氏がカウラ収容所に入ったのは、昭和十八年の五月、南の不時着逮捕から遅れること一年と三カ月である。
 この一年三カ月の間に豊富な食糧に恵まれ、死の危険もない安穏とした収容所生活で、運動不足のためか、かつての厳しい軍隊生活で得たひきしまった南の体躯は、すでに失われつつあったのだろう。
 森木氏の断定に勇気づけられ、私は翌朝、大阪の高原氏に会いに行った。
 心は軽かった。ジグソー・パズルの残った最後の一片を手に、絵を完成させるために出かけて行くような、晴れやかな気持ちだった。 
 大阪・高麗橋で、高原氏の勤務が終えるのを待つと、私たちは会社近くの小料理屋に入った。
 そして、テーブルにつくと早速、私はかれの前に写真を差し出した。」