●「続・知られざる日豪関係」(404)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「豊島のもっとも晴れがましい姿と思われる、飛行帽に飛行服姿で練習機のプロペラに手をかけて立つ、操練五十六期卒業の写真を上に、ひと束に重ねてである。
『うん、南君や。間違いない』
 高原氏の答は、私が写真を差し出すや、ほとんど間髪を入れず、もちろん一枚もめくらぬうちに返ってきた。
 南と高原氏は、昭和十七年二月のメルヴィル島での逮捕も同時期ならば、カウラ収容所への入所も一緒である。
 ヘイ収容所での”初顔合わせ”以来、南が暴動で死亡するまでの最も長い期間を、ともに過ごしてきたのは、この人なのだ。
 逮捕直後の、ひきしまった軍隊時代の体つきが残る南も、折り目のついた『赤い服』の南も、高原氏には強い印象とともに残っていたに違いない。」