●「続・知られざる日豪関係」(408)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「取材をすすめる過程で、つねに私は、対象を戦後派の眼をとおして見ようとこころがけていた。
 戦争を知らぬ世代として、四十年前の日本を、ある種の偏見をとおして見ていたといってもよいし、それが唯一の拠りどころとなる視点でもあった。
 オーストラリアのブルームからはじまったこの一連の取材で、私は南忠男に、豊島一に、希望のようなものを託していた。
 たとえ軍人とはいえ、同じ世代の青年ならば、なにか自分との共通項があるはずだ、という希望である。
 そしてその共通項とは『生きのびる』という生への執着だった。
 豊島機の不時着が意図的であったことを証明することにより、私は豊島の心の中にあったであろう生への執着に、なんとか光をあてようとこころみた。」