●「続・知られざる日豪関係」(410)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「それは四十年前である必然性などまったくない、現代の日本の社会においても日常生活の中で多分に見られる、ある種の構造的なものだったのではないだろうか。
 カウラ第十二戦争捕虜収容所にあった捕虜社会とは、実は日本、あるいは日本社会という巨大なピラミッドを構成している一つの石であり、しかも完全なまでに相似形の石だったのではないか。
 私にはそう思えてならなかった。
 そして原稿を書き終えたある日、雑誌に何気なく目を通していた私は、そこでまた『日本』に出食わした。
 それにより自分の考えていたことに確信を持った。
 それは、『太平洋戦争をめぐる敗因の研究』とサブタイトルのついた、『これが戦争病の実態』(森本忠夫、【潮】五九年一月号)という記事であった。」