●「続・知られざる日豪関係」(411)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「『戦備について、事実、日本の国家諸資源(ヒト、カネ、モノ)をあずかる主要閣僚たちは、こともあろうに開戦間際になってさえなんの自信も持っていなかったばかりか、むしろ戦争に反対していた。
 開戦当時、大本営陸軍部の第一部長だった田中新一の回顧によれば、この問題をめぐって一九四一年十月七日に開かれた閣議を支配していたのは、意気消沈した雰囲気であったという。(中略)
 が、にもかかわらず、東条陸相の、【今日は既に普通の経済ではない、今や戦い抜かなければならぬ時代である】という、日本の現状に目を閉じての倒錯した妄言が、閣議を開戦の方向へとひきずったといわれているのである。
 それは、いうまでもなく、ただただ強硬なトーンだけが空しく響く小児病的観念論に外ならなかった。
 が、この日本人流の観念論こそがボルテージの高い心的気圧の状況下での物事に対する超論理的支配者となったのだ』」