●「続・知られざる日豪関係」(414)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「南忠男が吹き鳴らしたあのラッパとは、その軸上で、四十年前にオーストラリアの地で焦点を結んだ、縮小された投影図に相違なかったのだと私は思う。
 
 オーストラリア国内で取材を続けているころ、テーマの内容が内容であっただけに、私はさまざまな『日本』、または『日本の戦争』を経験していた。
 その中の一つに、忘れられない出来事がある。
 一九八〇年の『アンザック・デー』の日、カウラの町で事件の取材をしているときのことだった。
 アンザック・デーとは、一九一五年四月二十五日にオーストラリア・ニュージーランド連合軍がエジプト・ガリポリに上陸したのを記念し、第一次、第二次大戦の従軍経験者が、毎年全国各地で記念式典やパレードをくりひろげる、大戦記念日である。
(注:私が住んでいたのはメルボルンだったが、オーストラリア人の親友から、「この日は外出しない方がいい」と忠告された)。」