●「続・知られざる日豪関係」(421)

 〜中野不二男さんの「カウラの突撃ラッパ 零戦パイロットは なぜ死んだか」より〜


「戦争を知らぬ世代の私が戦争当時の状況を調べることは、まさに暗中模索のことであり、はじめのうちは取材もほとんど徒労と思えるようなことの連続だった。
 しかし、多くの戦争体験者や事件当事者の方々にお会いするにつれ、ようやく私の中に方向性らしきものが生まれ、ここまでこぎつけることができた。
(中略)多くのカウラ会会員の方々、軍艦『飛龍』関係の方々、そしてノーヴァル氏(旧姓ネグレヴィッチ)はじめ多くのオーストラリア陸軍関係者、こうした人たちからの協力なしでは、私の取材がなり立たなかったことはいうまでもない。
 また滞豪中、メルボルン・フックレイ工科大学上級講師の田家洋信氏からは、社会学者としての立場からつねにさまざまなアドヴァイスをいただいた。
 ここに厚く謝意を表したい。

 一九八四年五月
                          中野 不二男」