●「続・知られざる日豪関係」(451)
「わたしと映画・南十字星」(1)
確か、1979年ごろだったと思う(手帳を調べれば正確な日時がわかるのだが、その必要はない?)。
当時、わたしが勤務していた仙台の職場に、きちんとしたスーツ姿の紳士と秘書らしい美し女性が現れた。
突然のことだったので、ラフな服装のわたしは「大変戸惑った」記憶がある。
この紳士からいただいた名刺には、「新日本映画社長・持丸寛二」と記されていた。
恐る恐る? 話を伺うと、「初めての日豪合作映画を企画している。
ついては、ぜひあなたの協力がほしい」とのこと。
その映画の題名が「南十字星」だと聞いて、「オーストラリアに関係のある話だな」と、とっさに判断した。
(あとで知ったのだが、持丸寛二氏は、大ヒットした映画・「野麦峠」を製作された方だった)。