●「続・知られざる日豪関係」(468)

「わたしと映画・南十字星」(18)

  
 翌年、この「Zフォース」と呼ばれる特別部隊は、再度シンガポール攻撃を試みる。
 隊員達は”SB”と呼ばれる特別な潜航兵器の訓練を受けていた。
”リマウ(虎)”と名付けられた第2次攻撃隊は、潜水艦にそのSBを積み込んで出発した。
 ところが、シンガポールを目前にして日本軍警備艇に発見される。
 攻撃を断念、秘密兵器SBを爆破する。
 23名の隊員はバラバラに逃亡するが、追撃されて13名が戦死、指揮官ペイジ大尉ら10人が捕虜となった。


(注:昨夜、「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった」というテレビを見た。オーストラリアのカウラで起きた日本人捕虜の脱走事件をドラマ化したものだが、「シベリアに比べれば、はるかに恵まれた捕虜生活を送っていたのに、なぜ?」と思った。
 彼らの中には、「生きて虜囚の辱を受けず=捕虜になるくらいなら、死を選ぶべきだ」という「戦陣訓」が、呪縛として存在していたからだろう。改めて「教育の怖さ」を知らされた)。