●「続・知られざる日豪関係」(525)

「わたしと映画・南十字星」(75)


「オーストラリアの特攻隊」の続き


 私はマライ語の通譯をしたH君を探して、土人がどんな自白をしたのか尋ねてみた。
 彼は大阪外語の出身で、すでにマライ語は堪能になつていたが、その裁判のころは、なまりの多いシンガポール語が解らず、係官の訊くままに、いい加減な通譯をしたことが解つた。
 亂暴きわまる話である。
 この大きな秘密を握つて、どう處置すべきか判斷に迷つた。
 ページ大尉は、現地人をすぐ釋放してもらいたいと熱心に要求した。
「しかし君の現在の運命が生死の間をさまよつている時に、このことがあらわれたら運命のが決定的になるのではないか。
 僕は何とかして君を助けたい」


(番外編〜昨日の読売新聞より〜)


 豪キャンベラで初の対日戦勝記念式…発案ラッド首相も出席
 2008年9月3日(水)20:16

 【キャンベラ=岡崎哲】第2次世界大戦での豪州軍の対日戦勝を記念する式典が3日、ラッド首相も出席して首都キャンベラで開かれた。
 式典は、「旧日本軍から豪州を防衛するため犠牲になった軍人を顕彰するため」として、ラッド首相が9月の第1水曜日を「豪州防衛戦争記念日」と制定したことから初めて開催された。
 豪州では、第1次大戦に関しては、豪州軍がトルコ・ガリポリ半島に上陸した日が国民の祝日に制定されているのに対し、第2次大戦に限った公式行事は無く退役軍人の間で不満が鬱積していた。このため、ラッド首相が党首を務める労働党は、昨年11月の総選挙の公約に記念日制定を掲げた。
 9月の第1水曜日としたのは、旧日本軍の攻勢にさらされた豪州軍の反攻のきっかけとなったニューギニア島東部「ミルン湾の戦い」(1942年)の勝利の日に当たるためだ。
 就任後初の東アジア外遊で中国を選んだことから「日本軽視」ではないかとされたラッド首相だが、今回の記念日制定について豪政府筋は、「日本を刺激する意図はない」と説明している。
 一方、国立博物館のピーター・スタンレー歴史研究部長は「(第2次世界大戦中の)日本に豪州侵略計画はなく、攻撃目的は旧オランダ領東インド(現インドネシア)の石油確保や米豪の連絡遮断などに限られた。一連の日豪の戦いを、豪州防衛戦争と位置づけるのは誤りだ」と指摘している。
(注:わたしたち日本人には、「オーストラリアと戦争をした」という意識はないのだが・・・)。