●「続・知られざる日豪関係」(530)

「わたしと映画・南十字星」(80)


「オーストラリアの特攻隊」の続き


 本官は被告たちを、かの沖禎介、横川省三(注:1904年【明治37年】4月21日、ハルピン郊外の原頭で、コサック兵のため銃殺に処せられ、壮烈な最期を遂げた)の兩勇士に比較するに躊躇しない。
 沖、横川の兩氏は、露軍が最高の敬意の下に銃殺してこそ、その名は不朽の生命を保つているのではないか。
 赤穂の浪士四十七名は、精神は崇高であるが法を犯した罪は赦されないと云つて死を興えられ、彼等もまた喜んで死に就いた。
 彼等の名譽が今も暦史にのこるのはこの故である。
 被告たちは勿論命を鴻毛の輕きにおいて大事を決行した。
 本官はこの勇士たちに對し、助命などしてその崇高な精神を汚したくない。