「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より
「訳者あとがき」の続き
太平洋戦争開始の時点でフェルトの監視点は六十四個所となっていたが、予期したよも早く日本軍の侵攻が始まった。
トラックを基地とする日本機は早くも開戦の翌日ラバウル上空に飛来したが、翌年一月二三日には、日本軍がラバウルとカビエンに上陸、その日のうちに占領を終る。
その後も日本軍の前進はつづく。
二月九日にガスマタ、三月八日にラエ、サラモア、四月一日ブカ島、四月十九日ニューギニア北岸の要点(サルミ、ホランジア)、そして五月四日ツラギ占領というぐあいである。
この時、日本軍は大失策をやった。