●「続・知られざる日豪関係」(548)

「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より


「訳者あとがき」の続き


 結局、迎えの船は行かず、戦後、戦友たちの手で捜索が開始され、この本にも登場する監視員クーパーが指揮した現住民ゲリラの手で全滅したことが判明した。
 昭和四十八年、厚生省の調査団が現場のイサベル島ムフ岬で遺品を回収、クーパーの証言が裏づけられた。
 攻撃が実施されたのは十二月十八日か二十二日頃で、日本兵はテントから引き出されて全員殺されたという。


 では日本軍はこうした沿岸監視網の大活躍に対し如何に対応したのだろうか。
 結果的には完敗した形だが、情報収集網を作ることについては、日本軍もそれなりに努力していた。