●「続・知られざる日豪関係」(550)

「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より


「訳者あとがき」の続き


 しかしガ島撤退までに見張所が玉砕したのか、活動を継続していたのかはっきりしない。
 中北部ソロモンでも二人単位で三カ月交代の見張所が各地に配置されていたが、消息不明のまま見捨てられた例が多いようだ。
 ともあれ日本軍の監視網があまり働けなかったのは、現住民を組織できなかったからである。
 石本某や田代某のように、戦前ソロモンに居住していた邦人も徴用されてきたが、数は少なく、現住民の多くはなじみの深いオーストラリア人の監視員に協力した。
 ブーゲンビル島だけは宣撫工作が功を奏し、日本軍の脅しもあって逆に連合軍の監視員が現住民に狩り立てられ、ついに撤退したしだいは、この本でも詳細に語られている。