●「続・知られざる日豪関係」(558)

「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より


 ”ステーキと卵”の続き


 一九四二年一月二三日ラバウルが陥落したとき、日本がつづいてその南東わずか二〇〇マイルにあるソロモン群島に進攻してくるであろうということに疑問はなかった。
 ソロモン群島は赤道の真下にあるブカ島とブーゲンビル島から、南東六〇〇マイルのサンクリストバル島まで首飾りのように伸びる美しい島々である。
 行政的には群島はブカ、ブーゲンビル両島がオーストラリアの委任統治領、残りがイギリスの保護領と二つのグループに分れていた。
 地理的には全く一体であるが、ブーゲンビルの南側から、群島は二つの並行する列島に分れる。
 北寄りの列はチョイセル、サンタイサベル、マライタ島と並び、南側はベララベラニュージョージア諸島ガダルカナルの各島から成り、サンクリストバル島で合流する。