●「続・知られざる日豪関係」(571)

「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より


 ”ステーキと卵”の続き


 彼は南太平洋の島々と住民たちを隅々まで知っており、また彼らからも十分な信頼を受けていた。
 フェルトは、これらの島々がオーストラリアを囲む”防衛(フェンス)”としては穴やすきまの多いことに気づいていた。
 一九三九年九月二一日、ニューギニアで任務についた彼は早速”防壁”の補強作業にとりかかり、一九四一年のなかばまでにそれを完成した。
 一〇〇以上の監視点(ステーション)が、パプア・ニューギニアの西部国境からニューヘブリデス諸島のヴィラにいたる二五〇〇マイルの弧線上に作られた。
 ポート・モレスビー、ラバウル、ツラギ、ヴィラに置かれた指揮センターは、各地区の活動を調整し、北部オーストラリアのタウンズビルにあるフェルトの本部に報告するようになっていた。