●「続・知られざる日豪関係」(592)

「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より


 ”ステーキと卵”の続き


 山本五十六大将がすでに計画していたミッドウェー島周辺における決定的海上戦闘とあわせて日本の勝利は確実となり、連合軍はこれ以上戦うことの無益さを覚って日本の条件による講和に応じるであろう、というのが日本の予定構想だったのである。
 ツラギ上陸に向う一二隻の艦船は四月二九日にラバウルを出港したが、五月三日未明、最後の守備兵が撤退したのと入れ替りに到着したのがこの艦隊の第一陣であった。
 午前八時、日本軍は輸送船吾妻山丸からいっせいに上陸した。
 その中に、T・石本という日本人が道案内兼通訳としてふくまれていた。
 彼は戦前に何年もツラギに住み、大工として、そして彼の母国のための静かな観察者として働いていた。