●「続・知られざる日豪関係」(708)

「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より


 ”ステーキと卵”の続き


 その中にエリック・フェルトの次席、ヒュー・マッケンジー少佐もふくまれていた。
 マッケンジーはフェルトと一緒に海軍兵学校を卒業、二〇年代に南太平洋で暮すため引退していた。
 彼は一九四〇年に海軍へ復帰してフェルとの補佐官になり、のちにニューブリテン島からのみじめな撤退作戦に当って立派な働きを見せた勇敢で元気一杯の男で、きまり切った仕事が大きらいだった。
 のちにある友人が指摘したように、「彼は恐れを知らないが組織も知らなかった」のである。
 しかし彼は物事を全体的につかむのが巧みで、とくにアメリカ人と調子をあわせるのが上手だった。
 彼はガダルカナルに沿岸監視員の本部を設置するために来たのだ。
 そうすれば緊急通信を直接に受信したり発信したりできるので、それまでのように面倒なリレー方式に頼るよりは大幅に能率が向上すると判断された。