●「続・知られざる日豪関係」(711)

「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より


 ”ステーキと卵”の続き


 待避壕のすぐそばに彼は砲弾の破片であちこちが裂けた日本軍のテントを張った。
 誰も欲しがらないので利用できたのである。
 このテントは事務所として待避壕の空気が濁ったとき逃げこむのに役立った。
 海兵隊から借りてきた三人の通信手はここで眠り、マッケンジーは半マイル離れた元日本軍の丸太小屋でごろ寝した。
 無線機を取りつけ、二本の椰子の木の間にアンテナを張り、”テキサス・スイッチ”と呼ばれる中央交換台に野外電話をつなぐ仕事は丸一日ですんだ。
 八月一七日の朝マッケンジーは誇らしげに店開きし、コールサインは地域内用としてHUGを、外部と通信するときはKENを使用した。