●「続・知られざる日豪関係」(723)
「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より
”ステーキと卵”の続き
しかし最初の二、三時間は生死が危ぶまれ、意識不明だった。
麻酔をかけられる直前、ヴォーザは正気づき、「奴らには何も言わなかったよ」とつぶやいたのである。
一木大佐が惨敗したあと、日本軍はもう一度海兵隊を島から追い出すため、分散した兵力をガダルカナルに集中しはじめた。
立派なひげの持主だった川口清健少将は第二次攻撃の責任者に指名された。
彼は両方向から挟撃できるよう部隊を東西の二地点に上陸させる複雑な作戦計画を作成した。
八月二八日から、田中頼三海軍少尉はショートランドから川口部隊の輸送を開始した。
彼はいみじくも”ネズミ輸送”と名づけた快速駆逐艦部隊の輸送力に頼ったが、アメリカ軍はそれを”東京急行”と呼んだ。