●「続・知られざる日豪関係」(730)

「─ソロモン諜報戦─ 南太平洋の勇者たち ウォルター・ロード/秦 郁彦訳」より


 ”ステーキと卵”の続き



 日本機の編隊が動揺したあと爆撃機は安定を失ってひらひらと墜落して行く。
 ゼロ戦が反撃に来援してくる・・・・・そびえ立つ積乱雲の周辺のあちこちで彼我の戦闘機の格闘する姿が、地上から見守る海兵隊員の前で展開されるのであった。
 この空戦から二時間後、リードは傷ついてラバウルへ帰る日本機を数えて送信する。
 たいていの場合編隊はひどく乱れるかバラバラで、時には三、四機しか見当らないこともあった。
 こうした海兵隊空軍の奮闘の最中に、待ち望んでいた援助が届いた。
 八月三一日最初の対空レーダーが到着し、すぐにヘンダーソン飛行場に設置された。
 使用書では有効範囲一二五マイルとなっていたが、信頼できるのは八〇マイル程度で、戦闘機に対して必要な時間を与えるには不足気味だった。