● 作家の描いた「特殊潜航艇」(67)

「その夜、私と酒巻は収容所のキャンティーン(酒保)で、二日に一本配給になるビールの小瓶(当時はまだ待遇はよかった)をあけてクラス会を開いた。
 キャンティーンの暗い灯火のもとで、言葉少なく催されたわびしいクラス会であった。
 それから日本に帰るまで、私は酒巻と共に収容所の世話係をひきうけ、通訳や当直将校のような役を勤めた。
 北部のウィスコンシンにいたときは、英語のうまい酒巻は、もっぱら米軍との交渉係を勤め、米軍側にも信頼されていたが、南部のテキサスに移ってからは待遇が悪化し、彼も随分いじめられた。」